ネタバレ感想
『にえるち』のネタバレ感想です。
この作品は非常に心理描写が優れているのですが、サラッと読むだけではかなりわかりづらいです。
そういう部分を細かく拾って解説していきます。
既読者向けの解説がメインでネタバレもありますので、未読の方は読まないでください。
ルミナの「セラママがはずかしいって言うの?」という質問に対し、「……違うよ。ぼく自分ではずかしいと思ってるよ」と答えるセラですが、これは明らかに嘘ですよね。何も知らない子供が、そんな風に考えるはずがないですから。
おそらくセラママがセラにいう言葉や態度から、セラはそう感じるようになったのでしょう。
でも、この頃のセラは母親のことをそこまで嫌っていなかったので、かばったのだと思われます。
「ヘンでもい――じゃんっっ」
そう答える子供の頃のルミナ。
しかし、思春期になると、そうは思えなくなります。
それは大人になるにつれ「フツウ」とか「常識」を知ってしまうからですね。
ルミナのことだけはきらいじゃないと答えるセラ。
それは裏を返せば、(自分を含めて)ルミナ以外は嫌いだという意味です。
子供の頃から、セラは自分の境遇やその原因を作った両親を嫌っていたのでしょう。
でも、頭が良くて優しいセラはそれを口には出せない。
そういった我慢が、セラを少しずつおかしくさせていきます。
ルミナのことを好きだとハッキリ言わず、きらいじゃないと遠回しに答えるところに、セラの歪んだ胸のうちを感じますね。
雨が降る公園の遊具の中で、寄り添いながら手を繋ぐ兄妹。
この不器用な手の握り方が、また子供らしくて上手い。
作者の並々ならぬセンスを感じます。
ベッドで眠る兄妹。
子供の頃と手の繋ぎ方が違うのに注目。
ルミナの兄に対する心が、子供の頃とは違うものだということを表現しています。
シゲに対し、酷いことをするルミナ。
ここだけ見ると最低な行為に思えますし、実際そうですけど、切羽詰まっていたルミナの心情を考えると、責められるようなものじゃないと僕は思います。
ちなみに緊張したルミナはシゲと最後まで出来なかったので、未遂だと思われます。
この後、二人の行為が周りにバレた時のシゲの対応といい、シゲは「フツウ」に良いやつですよね。
だからこそ、ルミナとは結ばれることはなかったのですが。
もう一つの注目ポイントはセラとの手の繋ぎ方。
今度はハッキリと恋人繋ぎになっています。
ルミナのセラに対する気持ちが、この手の繋ぎ方からわかりますね。
自分の思うように子供を育てようとするセラの母親。
作中でハッキリ描かれるわけじゃないですが、推察するに、母親は愛人という立場に相当コンプレックスを持っているのでしょう。
だから自分の子供を優秀に育てることで、そのコンプレックスを埋めようとしているのだと思われます。
それがセラを追い詰めているとも知らずに……。
学校をサボったルミナを心配する父親に対しての母親の返し。
父親には偉そうにこんな風に語ってますが、単なる育児放棄です。
残念ながら、この父親にはその「フツウ」がわからないことには気づいていません。
この対応が、後の悲劇を生む一因になります。
「フツウ」になりたいと願うルミナ。
「ヘンでもい――じゃんっっ」と言っていた子供の頃とは対照的です。
ルミナが「フツウ」の象徴である雑誌をグシャっとしているところにも注目。
自分だけでなくルミナも「フツウ」じゃないことを知って、セラもショックを受けています。
ここでセラが「自分から」ルミナにさわるのが良いですね。
女がこわいセラにとって、ルミナが特別であることが、よく分かります。
ルミナが雑誌をグシャっとしたように、セラも雑誌を踏むことで、二人が「フツウ」という一線を越えてしまったことを表現しているのも上手い。
二人の関係が両親にバレるシーン。
タイトルの「にえるち」は「煮える血」という意味であることがわかるシーンです。
義理では表現できない、血の繋がった兄妹ならではのタイトルですね。
このシーンは本当に凄い。
優しかった父親に愛された子供の頃の記憶を、その父親から打ち砕かれる切ないシーンです。
様々な要因が重なり、この時、セラは今までずっと我慢してきた何かが、壊れてしまったのでしょう。
愛する兄に欠陥品呼ばわりされたルミナのショックにも注目。
自分はものすごくドキドキしながら兄と再会したのに、兄の方は拍子抜けするぐらい普通で、一人だけ盛り上がってしまった自分を「バカみたい」と思うルミナ。
兄に対して怒っていたはずなのに、優しくされると涙が出るぐらい嬉しい自分が「バカみたい」に思えてくるルミナ。
同じ「バカみたい」という台詞に、二つの意味を込めるこのモノローグセンスに脱帽。
7年ぶりの再会後のカット。
二人の心の距離を表している上手い構図。
二人の眠る方向が上下逆なのに注目。
他にも、普通に上を向いているルミナと違い、ルミナに対し背を向けて寝るセラ。
二人の性格や心の距離を表しています。
ルミナと再会したことで、セラの方にも心情的な変化が生まれたのでしょう。
何年も会っていなかった母親に、自分から会いに行きます。
息子に冷たい言葉をかける母親の心情はハッキリとはわかりませんが、流した涙から想像するに、おそらく母親は今も過去のことが忘れられずに苦しんでいるのでしょう。
母親が社長を務める会社名『RUAGE(ルアージュ)』はフランス語で歯車の意味。
歯車のように無心に働くことで、過去を忘れようとしているのかもしれません。
自分を見ると母親が亡くなった父のことを思い出すのを察したセラは、もう母親の前に姿を表すのは止めようと思ったのだと思われます。
これ以降セラの母親は(回想以外では)登場しません。
母親と再会することで吹っ切れたセラは、世話になっていた(ヒモとして利用していた)ユキに真実を話し、別れることを決めます。
そうすることで母親にも自分と同じように過去を吹っ切って欲しいというセラの気持ちが、これらの描写から垣間見えます。
ユキちゃんに悪いと思いつつ、兄がユキちゃんと別れたことにホッとするルミナ。
妹(女)心は複雑ですね。
母親やユキちゃんと別れたあと、ルミナを映画に誘うセラ。
右上の映画名は『オール・アバウト・マイ・マザー』だと思われます。
僕は未読なので、内容はわかりませんが、わざわざPOPや吹き出しでタイトルを隠しているところが意味深ですね。
寄り添う子供の頃の兄妹のカット。
7年ぶりの再会後のカットとの対照で、兄妹の心の距離の移り変わりを表現しています。
そして、今度はルミナが上から寄り添うようにセラの手を握っています。
セラにとって、ルミナは妹であると同時に母親のような存在でもあるのでしょう。
身も心も結ばれる兄妹。
子供の頃のように遠回しではなく、ハッキリと好きだと言っています。
セラの心の成長がうかがえますね。
自分たちの子供の名前を二人で考える兄妹。
兄妹モノでも、なかなか見られないレアシチュです。
「フツウ」のカップルみたいに、イチャイチャする兄妹。
ここまでのことを考えると、本当に感慨深いものがあります。
ルミナにプロポーズするセラ。
父親とセラの母親は籍を入れていないので、この兄妹は結婚出来ます。
ルミナの指を掻く仕草が、まだ兄妹であることを吹っ切ることが出来ず、結婚することに不安を感じるルミナの心情を表しています。
そんなルミナの心情を察し、無理強いせず手を差し伸べるセラ。
どちらかが寄りかかるのではなく、お互い助け合う関係って素敵ですね。
お互い握り合う手に、そんな二人の関係が凝縮されています。
子育てで内にこもっているルミナを心配して、外へ出ることを勧める母親。
兄妹で結ばれて子供を育てるということは、そんなに簡単なことではない。
二人のこれからを案じて、離れることを勧める母親。
それは、以前は娘に何をすればいいかわからなかった母親が、真剣に娘のことを思ってしたこと。
だからルミナは母親に感謝したのです。
プロポーズの時に、セラがルミナが抱える不安を感じ取っていたことを示唆するシーンもあります。
兄と母親、二人の家族の愛情に支えられ2年が過ぎ、思い出の公園で今まで抱えていた不安をルミナが克服するシーン。
ここは本当に感動します。
セラとの再会。
セラが「どうも」をわざわざ言い直したのは、大人になって7年ぶりに再会した時の反省ですね。
ラストの親子3人が手を繋いで歩くシーンは、ヒカリという子供の名前と相まって、非常に希望溢れるものになっています。
ちなみにルミナ(Lumina)はラテン語で「星の光」という意味です。セラ(sera)はイタリア語で「夜」。
夜(兄)を照らす星の光(妹)、良いネーミングですね。